2021/05/12

謙遜する必要などない

 

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最近、あらためて思った。

謙遜は誰のためにするのだろう?

二十代の頃はよく、
「もっと謙虚になった方がいいよ」
などと上の世代の人たちから忠告を受けた。

きっと僕の為を思って言ってくれたのだと思う。

ただ当時から、僕には、
謙遜する意味がイマイチよくわからなかった。

なぜ人から褒められているのに、
「いやいや」と相手の言うことを否定しなければいけないのだろうか。

人から褒められたら嬉しいし、
素直に喜ぶ方が相手も嬉しいと思うのだけど。

ところが「ありがとうございます」と言うと、
相手は途端に怪訝な表情を浮かべる。

そしてそのやりとりを周りで見ていた人が、
「いや、お前もっと謙遜しろよ」と僕に指摘してくるうえ、
僕を褒めた当人も同様に苦笑いを浮かべている。

要するに、僕の反応がおかしかったということなのだろう。

否定してほしいのなら最初から褒めなければいいのに・・

 

 

歳をとり、経験を重ねるうちに、
あの言葉に隠れていた”行間”が読めるようになった。

「もっと謙虚になった方がいいよ」

この言葉には続きがある。

「でないと周りの印象が悪くなるから」

口に出しては言わないけれど、
例の忠告はここまでが一つの文章になっている。

それが判明した時、僕の疑念は確信に変わった。

『謙遜する必要などない』

なぜなら僕にとってそれは無意味なことだからだ。

周りの印象が悪くなろうがどうでもいい。

僕は人から褒められると嬉しくて笑顔になってしまうし、
褒めてくれた人に「ありがとう」と言う自分でありたいと思う。

だから僕の人生に謙遜は必要ない。

そもそも、あれは僕の為の忠告だったのだろうか?

たしかに嫌われるのは僕だけど、
本当に僕のことだけを思ってされた忠告だったのだろうか?

・・いや、違う。

人が「謙遜しろよ」と言う時、
その言葉には苛立ちが込められている。

彼らは苛立っているし、
不愉快な気持ちが表情から滲み出ている。

・・そう、彼らは謙遜しない人間がムカつくのだ。

謙遜しない人間を見ると自分たちが不愉快になる。

だからわざわざ忠告をしてくる。

もちろんこちらのことを考えて言ってくれているのもあるだろうけど、
その忠告には「自分たちが不愉快なる機会を減らす」という目的も存在しているのだ。

 

 

僕たちは謙遜する必要なんてない。

自分で自分の価値を下げる必要なんてないのだ。

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